ミッチBEFORE
考えるのをやめる
他人は私を不幸な女の子ということにしたいらしい。
まあ、確かに客観的に見ればそうでしょうね。自分でも不幸だとは思う。とはいえ、他人に言われたり気遣われて嬉しいかというと、そんなことはなく。ただただ、胸のむかつきだけが残った。腹が立つ。腹が立つ。
胸はむかつくのに腹が立つというのは、どうなんでしょうね? 国語的に不思議な感じがするわ。
もう朝だ。とても憂鬱。起き上がり、着替える。眼鏡をつける。憂鬱だ。東京に居た頃はそうではなかった。都会と違って、ここは人の噂が立ちすぎる。息が詰まる。
私はため息をついて、姿見を見る。登校前のチェック。身だしなみはしっかりしているけど、おしゃれとしては落第ね。いいけど。
おしゃれすると、良くない人間が群がってくる。まあ、お母さんが大変なのにおしゃれなんかして、とか言われたら本の角で頭を殴りたくなる。
やらないけどね。本が大事だから。本は嫌味をいう人間より貴い。
――私は三智子、飛梅三智子。
鏡を見て強く思わないと、最近意識が飛びそうになる。そういう病気のような気もするし、そうでもない気もする。つまりどうでもいい。
私は不幸と言われることに、心底嫌気がさしていた。人生投げ捨てたいほどに。
一人きりの家から出て、学校へ向かう。文庫本を持って、読みながら登校。
東京と違って、葦原中つ町は学校まで徒歩だ。本を読むにはあまり良い環境とはいえない。でももう、慣れた。たまに車に轢かれそうになるけれど。
本はいい。たまに分からない事が書いてあるのがいい。辞書を引くのが楽しくなる。賢くなった気もする。
分からない事をメモして、あとで調べようと思う。
顔を上げたら大きな入道雲が出ていて、今が夏であることを思い出した。
/*/
本はとてもいいものだ。私が使える最高の防具でもある。これを読んでいると、他人から話しかけてこられなくなる。不機嫌そうにするとなおいい。本がなければ、私はずっと前に他人から不幸ねと言われ続けて、心を壊していただろう。
窓を全開にしているせいで蝉の声がうるさい。東京というより東日本と比べて蝉は種類が違って、引くほど大きく、声も大きかった。自然の大騒音だ。行き交うトラックの走行音と、どっちがマシだろうか。
うるさいなあと思ううちに、学校の裏山に何匹の蝉がいるんだろうとちょっと思った。試算するのは面白いかもしれない。一本の木あたりの生息数と面積あたりの木の本数さえ分かれば、あとは掛け算でどうにかなる気がする。
悪くないわね。マックス先生に相談してみようか。分からない事が分かるのは楽しい。
蝉の音と共に温度も上がりはじめている。私は付箋紙にメモを書くと、授業の開始を待った。
窓の外を見ながら五分、一〇分。クニ先生がやってきて、授業はなくなったと言った。隣市にいる英語の先生がケガイ被害で来られなくなったという。これで、もう何回目だろう。三九回目? 四〇回目だっけ。
「授業がなくなったぞ!」
バカな男子はこのあとは家でゲームしようなどと大喜びしている。考えが甘い。これだけ授業に支障がでているのなら、夏休みがなくなる可能性が高い。
バカね、と思っていたら、沢田が上機嫌そうに近づいて来た。こっちに来た頃から、一貫して私の面倒を見ようとしている同級生男子だ。たしか三、四人で野球部を作っていた気がする。過疎化した地域で集まって一チーム作っているとか。
いかにもスポーツマン、という感じで屈託なく笑っている。
「オレら裏山に遊びに行くけど、飛梅はどうする?」
「裏山に何があるって言うのよ」
沢田は、頭を掻いた。
「ま、そうなんだけどよ」
「自習した方がいいと思うけどね。テストの成績酷くても知らないから」
「大丈夫だ。大山とお前以外はみんなバカだ」
他に追試や補習を受ける人がいたとして、だからって何? と思うけれど、沢田は自信満々で教室を去った。口さがない連中が、私を誘っても無駄だってみたいな事を話している。
私はため息。沢田は自称するくらいにはバカだけど、面倒見はいい。私も面倒を見られている一人というわけ。東京からこっちに来てから三年も経っているんだからもういいわよ、と言いたいのだけど、全方位で同じような態度なので、言うと意識してるとか変な事を言われそう。
面倒臭いわね。学校というものは。
私は気持ちを切り替えて自習を始める。英語。英語を使っている大きな国はあらかたケガイに蹂躙されて滅んでしまったそうだけど、海外の文献を読むためには今も重要な言葉だ。
ケガイのことをMythMonsterと書いてあって、ちょっと不思議な気分になる。神話の怪物。英語を使う人々には、あれがそんな風に見えるのだろうか。
辞書を引きながら翻訳していたら、時間が過ぎる。数年前から日本語から英語に直すというカリキュラムはなくなった。今はもう、英語から日本語に直すだけ。話者もほとんどいないから、ヒアリングもなくなってしまった。英語の先生がこれも時代だよと、遠い目で言っていたのを思い出す。先生が遠い目で見ていた先には、どんな風景があったんだろう。
チャイムが鳴る。私は考えても仕方ないことを考えるのをやめる。
ケガイのない時代も、ケガイのない世界もない。