扉絵

イチカBEFORE

会いたい

 わたくしは......、誰に会いたいのでしょうか。

 

 わたくしは......、誰に恋をしているのでしょう。

 

 分かりません。何も分からないのです。なぜなら私は何も知らずに育てられて来たのですから......。

 
 

 水の中、目を開いて天を見ます。太陽の光が揺らめいて、とても綺麗。ゆっくり浮かび上がって手すりを掴みます。

 

 目が、覚めました。

 

 何時間、眠っていたのでしょうか。一〇一日だと聞いていますが、そんな感覚はありません。先ほど眠りについたような、そんな気分です。

 

 わたくしは涙を手の甲で拭います。神降ろしをしてから、目が覚めるたびに泣いています。人は泣きながら生まれるのですから、目覚めのたびに生まれるという、そういう話なのかもしれません。

 

 気持ちを落ち着け、禊を受けます。

 水から水へ入るわけです。それが少しの面白さすら感じます。身を切るような冷たい水が、意識をはっきりさせます。

 

 濡れた髪が神力で一瞬で乾きます。それでいて湯帷子は乾きません。

 不思議な感じです。とはいえ神のなさることに、人間の理解など及ぶところではないのですが。

 

 遠く、瀧の音が聞こえます。水量が少ない気がしますから、雪解けの季節は終わったのでしょう。

 

 禊の水場から長い渡り廊下を通り、歩きながら着替えます。沢山の女官たちがわたくしを脱がし、わたくしを乾かし、わたくしを着せ替えました。

 

 生えている草木が、私に降ろされた神の美しさを讃えているのが聞こえます。残念ながらわたくしには、その神々の姿が見えません。ぼんやりと感じられ、聞こえるだけです。

 神代は遠く、巫女の力は落ちていく一方です。何が悪いのか、それすらも分かりません。

 この程度の力で、ケガイとの戦いに互することができるのでしょうか。

 
 

 空気が変わりました。禊を受けているときと同じような、そんな感じです。

 拝殿に上がり、やんごとなき方から名前を与えられます。降ろされた神に合せて与えられるのが通例。それまで私は、名を持っていませんでした。

 
 

「名を与える。命名、朔夜」

 
 

 巻物に書いた朔夜という文字が読み上げられると、イチカという音になってわたくしの上に降ってきました。魂が縛られる気がします。それまで重なっていただけの二つが、一つになるような感覚です。

 

 それでようやく、私は地に降り立った気がしました。これまで私に指示や小言を与えていた女官や巫女が、私を主人として崇めています。

 

 私はそれを、無感動に見ていました。心はなんの興味もなく、ただ、あの人に会いたいと思いました。

 

 巫女頭が、平伏しながら口を開きました。

 
 

「これより、今の人の世を学んでいただきます」

「興味ありません」

「お許しを、どうか、お許しを。それでは人の世が、大いに乱れてしまいます」

 会話が成立していないようです。私はため息をつきました。

「すぐにも、ケガイを討たなければならないのではなくて? でなければ、私を降ろした意味もない......違いますか?」

「その通りでございます。しかし」

 
 

 私は巫女頭を片手で持ち上げました。恐怖に歪む老婆の顔を見て、美しくないと思いました。

 美しく作り替えようかしら。

 
 

 いいえ。......いいえ。

 

 ――そう。

 
 

 私はわたくしとして、私として、考えを変えました。

 巫女頭を手放し、二歩、歩きます。遠く、飾られている刀に手を伸ばし、引き寄せて空中で掴みます。

 

 刀を抜き、一閃。一人を斬りました。

 
 

「なんということを!!」

「落ち着きなさい。ケガイです」

 ケガイ......? 巫女頭が茫洋と言うマニも、それは本来の形を取って私の前に姿を見せました。

「神職すら汚染されているとは、低脳がすぎます」

 
 

 ケガイが長い手を伸ばしてきました。何本も。もしかしたら少しは名のある存在なのかもしれません。

 どうでもいいのですが。

 軽やかに飛んで空中で回り、一閃再び、裾を床につけないよう着地してケガイをバラバラにしました。虚空に門が開いて撃攘されていきます。

 

「私に教える事があるのであれば、手早くすべきでしょうね」

「すぐにも......すぐにも始めます。数日で」

 喉を押さえながら巫女頭が言いました。

「いいでしょう」

 
 

 私の心は言葉と裏腹に、沸き立ちました。あの人が、葦原にいるかもしれないと思ったからです。

 私の心は、どう美しく着飾ろうかと、そういうことばかりを考えていました。

 そう、そうですね。素早くケガイを撃攘し、そしてあの人を探しましょう。

 
 

 
 

 会いたい、会いたい。

 
 

 
 

 会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい。。

 
 

 
 

 ああ。全てが面倒です。

 あの人が征服した国でなくば、すぐにも全てを根の国に送るのに。

 気が変わりました。すぐに行きます。そう言いたくなる気持ちを必死に抑えて、私はため息をつきました。

 
 

「急いでください。私が、押さえ込めるその間に」

 
 

 私の声なのに私ではない者が喋ったような不思議な感覚。しかしその感覚も、すぐにどうでも良くなりました。

 
 

 あの人はどこだろう。

 そう思ってしまったからです。

 
 

 
 

公式Twitterをフォロー