マックスAFTER
まったく今日は変わった日だ。
もう8月と言うべきか、まだ8月と言うべきか。不真面目な教師にとってはまだ8月で、真面目な生徒にとってはもう8月だろう。
光陰矢のごとし。というらしい。日本語は今だによくわからない。一人称や二人称の種類がそもそも多すぎる。
今日、進路相談をやってほしいとクニ先生に言われた。早く家に帰って娘を機能強化したりメンテナンスしたりしたいが。そのためにも給料はいる。
仕方ない。仕事しよう。
それで割り当てられた面談相手は飛梅くんだった。
てっきり彼女の面談はクニ先生がやると思っていただけに、少しばかりびっくりしたが、クニ先生いわく、飛梅くんはなんの問題もないとのこと。
つまりクニ先生は問題児の相手をするということだ。沢田くんかな。
まあいい。
のんびり構えていたら、飛梅くんが幽鬼のような顔でやってきた。顔を見た瞬間、安直に引き受けたことを後悔する。
「座りたまえ、飛梅くん」
「はい。マックス先生」
言葉は荒れてないな。しかしまだ安心はできない。学生が荒れるときは最初、知り合いの目が届かないところで発生する。結構あとの方になるまで何時もどおりを演じるのが人間だ。注意をすべきだろう。
「酷く悩ましい顔をしているが、家で休んだほうがよくないかね」
そう言ったら、酷く驚いた顔をされた。私は髪を掻き上げる。
「何故驚いているのか分からないが......」
「この時間は進路相談だと聞いていました」
「その通り。だが、人間の考えや感じ方なんてその日の体調で大きく変わるものだ。不調な時に重要な判断をしないでもいいと思う」
そう言ったら、急に気の抜けた顔をされた。それがどういう事なのか、私には分かっていない。
その程度も察する力もないのに生徒の面倒を見るというのもおこがましいが、それでもやらなければならないのがこの職業だ。教師の人生は後悔に満ちていて今この瞬間も新しい後悔が降ってくる。
クニ先生が研修会に入り浸るのもそういう背景があるのかもしれない。
「マックス先生、どうされましたか?」
「偉そうに発言しておいて自分の体調はどうなのかと自問自問していた」
「体調悪いのですか?」
「いや、大丈夫だ。それで飛梅くんは大丈夫かい」
「ええ、はい。多分。色々深刻に考えていたんですけど、気が抜けました」
「そうか。それはとてもいいことだ。もう8月と思っているかもしれないが成績はいいんだ。あまり思い悩まないでもいい」
飛梅くんは両手を膝の上に載せて何か言いたそう。
さて。あまり悪い話でもないだろうが.........。
「あの、先生は恋、とかされたことはありますか」
随分平和な悩みだった。
自分が子供だった時、ケガイ被害で恋愛どころではんかった。生きるためにはなんでもした。
だからといって彼女の悩みを蹴飛ばすようなことはしない。平和、いいではないか。いずれ壊れるものだとしても、大事な記憶は残り続ける。
それで、言葉を選んだ。
「ないな。というよりも土台無理な話だ。女性の恋と男性の恋は同じではないし、個人個人の好みもある。恋というのはたとえ相手がいても自分だけのものだ。飛梅くんくらい頭が良ければこの説明でいくつも気づきがあるだろう」
「なるほど。そうですね。でもなんというか」
「なんというか?」
「一緒の夢を見ていたいと言うかいうか......」
恋とはなんと甘きものであろうか。あの飛梅くんが恥ずかしそうにこんな事を言おうとは。相手は誰だろうと思ったが、職業倫理にもとるので無視して微笑んでみせる。
「大事なことを教えよう。キスしてもいいが立ち止まらないように。それと、恋と結婚と出産はそれぞれ別の問題だ。この区別がきちんとついてないような相手は君をただ不幸にする」
至って真面目に、教師としてアドバイスしたつもりだが、飛梅くんには刺激が強すぎたようだ。どこからか出してきた教科書で顔を隠している。恥ずかしいらしい。
もしかして、随分と大人な恋愛の話をしたのだろうか。いや、しかし。
「ま、まだそんな段階では」
「そうか......」
では何を相談したいのだろう。思った事が顔に出たか、飛梅くんは教科書で顔を隠しながら話し始めた。
「思ったことと全然違う事を言ってしまうんです。意地悪で酷いことを」
「相手の子にかい?」
「はい」
小学生だろうか。飛梅くんは深刻そうだが、高校生の恋愛はもう少し別のことで悩むべきな気もする。
とはいえ先程恋愛は人それぞれという意味を言ったばかりだ。一度吐いた言葉は飲み込めない。致し方ない。
「自分が変わらないといけないね」
「どうすれば変われるでしょうか!」
飛梅くんは随分早口だった。うんまあ、深刻なんだろう。私に尋ねるくらいだからな。
「焦らないこと、深呼吸すること。相手が喜ぶことをしたいと願うことだ」
まったく今日は変わった日だ。帰って娘を機能増強したい。