ホオリBEFORE
俺なんかやっちゃいました?
雪は大好きだ。嫌いな奴がいるのが信じられない。
スキーが好きだ、スノーボードというやつもやってみたい。来年には日本で協会立ち上げるとかなんとか。
スキー場へ向かうバスの中はヒーターのせいで足元は暑く、窓に近い顔は寒い。毛糸の帽子を被った俺は、かなりにやけた顔をしていた。今シーズン初めてだからな。楽しみだ。ああ、楽しみだ。
しかしこう、世の中求道者ばかりでもないらしく、前も後ろも、なんなら通路挟んだ左側もカップルばっかりだ。
分からないな。その気持ち。
まあ、好きなものと好きなものをふたつあわせれば無敵、とかそういうものなのかもしれない。俺としては二つを比べてどっちが好きとかやられたら困るので、片方だけ、順番にやればいいと思うんだが。
それにしても今年も例のサンタクロースな歌が歌われている。
今年はアイドル歌手が歌ってるとか言っているが、さすがに食傷気味だ。歌が悪いんじゃなくて、この曲をヘビーローテーションするスキー場直行バスが悪い。とはいえ、高校生の小遣いじゃ、この夜行バスが唯一の足ってね。
大人になったら外車の一つでも転がすかな。BMWなんて手頃でいいという話だが、俺には違いがよく分からない。まあ、ちょっと格好良く見えるかな。
「この先、ケガイ被害がでておりますので、迂回します」
バスの運転手が曲のサビをぶった切ってそんなことをマイク越しに言った。ケガイめ。またかよ
俺は地図を思い浮かべる。クラスの女子が地図読めないとか言ってたのを不意に思い出して苦笑した。地図の読み方を教えてやると言うのが正解だったと、あとで別の女子から聞いた。しらんよ、そんなこと。俺が好きなのは沙織みたいな女なんだ。
さておき、頭の中の地図ではルートが見当たらない感じだ。どう行くんだろう。
ケガイの知能はないと言われているが、どうにも日本を南北で割りそうな動きを見せている気もする。まあ気のせいか、西日本でもケガイ被害は酷いって聞くしなあ。
それにしてもあちこち寸断されている現状、無事に長野まで行けるのかな。引き返すだったらイヤだな。
普段は行かないような道をバスは行く。除雪が十分でないのが気になった。大丈夫だろうな?
と思っていたらバスが転倒した。
受け身が間に合ったかは分からない、意識が飛んだからだ。最後に見た風景は燃えるバスの中、光の球が泳いでいる様子だ。
それが何を意味するかは分からなかった。人魂ってやつだったのかも。
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次に意識が戻ってきたのは随分してから、見知らぬ女たちが心配そうに俺を見下ろしている。一人は看護師だな。格好で分かる。
わあと女の一人が泣いた。誰だあんたと言おうとして、声がうまく出ないことに気付いた。
自分の目の色が変わった気がした。いや、風景の色が変わったせいで、そう思っただけ。
ここは随分と慣れない匂いがする。怪我は塞がっているな。良い事だ。部屋のどこを見ても武器がないのが不安だ。
故郷に......葦原中つに、父母の居るところに帰らないといけない。
「ご自分の名前は分かりますか?」
ものすごく真面目な顔で看護師が尋ねている。俺は少し考えた。笑い飛ばしてやろうかと思ったが、やめた。これはマジだ。それも、大マジだろう。
「火折幸......ホオリサチだ」
どうにか壊れてないところから引っ張り出して名前を告げる。
見知らぬ女が大泣きしながらサっちゃん、サっちゃんと言っている。
それで俺は、泣いている相手が沙織......母親であることを思い出した。ヤバいなんてものじゃない。自分の母親の顔も名前も出てこなかった事実は、俺の心を槍のように貫いた。もう一回死んだ気分。
「だ、大丈夫かよ俺」
「大丈夫じゃないわよ!」
沙織が大声で言った。まあ、そうだよな。いや、そんなことが聞きたかったわけじゃない。いや、どうなんだ。俺はどんなことを聞きたかったんだ?
「お母様、まだ意識がもうろうとされています」
看護師が沙織にそんなことを言っている。
そうか。意識もうろうって、こういうことを言うんだな。他人の言葉だけ妙にはっきりと理解出来るのが変な感じだ。
俺はまた意識をなくした。
やりたくてそうなったわけじゃない。ほんとにこう、電気を切ったような感じでプツン、といった感じだ。
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海の音がする。外海の音ではない。静かな波の音。今は瀬戸内海という名前だったはずだ。
俺はそこに帰らないといけない。父母がいるからだ。父を助けて征服を手伝わねば。でなければ人間の世界がなくなってしまう。
軍勢は......、まだあるだろうか。
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目が覚めた。今度は親父がいた。
仕事人間の親父が病院にいるなんて、と思ったが、つまるところ俺はさらぬ死にかけなんだろう。我がことながらヤバいな。頭の傷はだいぶ修復されていそうだが。。
するりと包帯を解いて起き上がった。親父がびっくりした顔をしている。
「幸、大丈夫なのか。脳は......」
「なんとか?」
間抜けな親子のやりとりだったが、こういう時、洒落たやりとりは無理だろう。だって台本がない。
しかしこう、親父は仕事人間のせいか、イマイチ親って感じがしない。沙織もそうか。あれ。やっぱり俺の脳は変なのか。いや、怪我かなんかしているのか。
気付けば立ち上がっていた。軽くジャンプする。おお、正常だな。筋肉は前より上がってる感じ。
しかし武器はどうだ。あいかわらずここにはない。銅剣でもいいから探さないと。
それより重要だったのは、帰らないといけないと強烈に思ったことだった。東京の家じゃない、葦原中つだ。あそこに帰ろう。あそこには父さんも母さんもいる。
あれ、じゃあ目の前の人は誰だよ。
考えるうちに医者と看護師が沢山やってきた。いずれもびっくりした顔をしている。
あれ。俺なんかやっちゃいました?