扉絵

マックスBEFORE

少しの希望

 同僚にクニ、と呼ばれる教師がいる。

 

 露悪趣味が過ぎると思うこともあるが、基本は良い教師だろう。反面教師としても、ただの教師としても、良い教師だ。表面だけを取り繕った僕とは違う。

 そのクニが、暴れている。英語の教師が死んだのだという。ケガイ被害らしい。ありふれた話なので気にも留めなかったのだが、それが気に入らなかったらしく、クニは文句を言い出した。

 

「分かっているんですか? もうこの学校には私とマックス先生しかいないんですよ!」

 

 マックスとは、僕の名字だった。

 大変ですね。と返したが最後、政府とケガイと教育制度と生徒の不熱心さについて彼女は文句を垂れ流した。よくもまあ、それだけ文句が出るものだと感心した。

 彼女は現状に何一つ納得していないのだろう。それはつまり、彼女は現在の状況でもなお、今より良くしたいと思っている、ということだ。やはり素晴らしい教師なんだろう。素直に称賛に値する。しかし、僕に愚痴るのはやめて欲しい。まったく......。

 僕は適当なことを言って席を立った。ワープロを修理するという言い訳だ。実際修理するのだから、文句は言われないだろう。

 窓の外では生徒の一人、沢田くんが一人で野球をやっている。器用なことだ。

 視線を移せば、窓には僕が映っている。ちっとも日本人に見えない顔がそこにある。今や日本にいる時間の方が長くなりそうなのにもかかわらず、僕はまったく日本人になれていないし、日本の全てからもそう認められていない。

 不愉快な話だ。僕は一生、外国人という扱いで生きるのだろう。誰にも受け入れられず。どこにも所属せず......。

 母国がない、というのはつらいものだ。

 

 僕はワードプロセッサーを修理した。幸い電源回りの修理で、どうにかなった。ただ、安い部品で代用しているのでまた壊れるかもしれない。とはいえ、高い部品は入手が困難だ。生産工場がケガイ被害にあって、復旧の見通しは立っていないという。

 娘にも使っている集積回路が丈夫そうなことを確認できたことが唯一の救いか、な。

 

 私をなんだと思っているのか、女子生徒たちが騒いでいる。まるで僕を、映画俳優かなにかと勘違いしているようだ。そういう年頃、なんだろうが少しは慎みたまえ、と説教もしたくなる。実際やると黄色い声が上がって逆効果なのだが。

 まったく......。教師をなんだと思っているのやら。

 

 そこまで考えて、自分は意外に教師という職を愛していることに気付いた。奇妙な気分だ。

 

 

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 家に帰って娘にその話をすると、教師が教職を愛するのは当然ではないのですか、お父様と指摘された。

 確かにそうかもしれない。それで二年ぶりに声を立てて笑った。

 

 私が笑うのを、娘は興味深そうに見ながら編み物をしている。一日に十二mくらいはなにがしか編んでいる気がする。妹の趣味だったので教えたが、娘はどういう学習をしたのか、いかに高速に編み上げるか、そちらにばかり集中するようになってしまった。おかげで柄は今も壊滅的だ。指摘するとせっかく作った編み物を燃やしてしまうので、指摘できていないのだが。

 

 娘が両手で別々の編み物を作っているのを見ながら、私は今後について考える。国が、とか、日本が、とか。そういう大きな話ではない。自分のこと、娘のことだ。

 私がこの世から居なくなったとき、娘はどうなるだろうか。考えるだけで胸が痛む。娘を託せるような、そういう人物が必要だ。慎ましくはあるが個性的な娘と仲良くしてくれて、無欲で、私よりずっと若くて、技術に明るい。そんな人物が欲しい。

 

 私は家に持ち帰った仕事の結晶、書類の束と、メモが保存された電子手帳を手に取る。本当は持ち帰ってはいけないのだが、規則通りにすると学校が立ちゆかなくなる。人員を増やして欲しいと要請は出しているが、聞き入れられたことはない。

 結果、常習的に書類の持ち帰りが発生してしまっている。困ったものだ。

 

 お父様、肩を叩きましょうか。と娘が言い始めた。そうすれば私が元気になると、今も信じているらしい。可愛らしいが、将来がさらに心配になる。やはり誰かいないか。

 資料をめくる。転校生が来るらしい。二歳とは思えない学業優秀な子だ。

 

 ん? 二歳?

 

 資料をもう一度見る。二歳とある。学歴はこれまでなし。小学校にも行ったことがない。なるほど。二歳なら妥当な学歴ではある。編入先が高校であることを除けば。

 

 どんな天才児なのだろうと考えたが、写真を見れば高校生くらいの子だ。冷静になろう。代用コーヒーを飲む。ありそうな可能性の第一は、資料のミスだ。二歳ではなく十七歳、または十六歳。それなら全ての辻褄があう。

 一瞬、興奮してしまった自分が恥ずかしい。娘は代用コーヒーの材料であるタンポポの根を炙っている。顔を見られなくてよかった。思わず興奮していた。二歳の天才児なら娘を託すのに最適だったのだが。いや、十六、十七でもありかもしれない。

 慎重に見極めよう。

 写真を見る限り、あまり日本人には見えないから、きっと私と同じように孤独になる。だとすれば......娘はいい話し相手になるのではないだろうか?

 

 近年明日や明後日が楽しみという事はあまりない。しかし私は、少しの希望をもってもう一度資料を見た。続いてそれが公私混同であることに気付いて、深くため息をついた。反省せねばなるまい。

 

 

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