扉絵

ミッチAFTER

靴の履き方くらい教えてあげる

 転校生が、やってきた。

 
 

 ケガイ被害を恐れて、藁をも掴む思いで避難して来たのだろう。もともとは私もそうだったから、理解できる話だ。先日東京でも大被害が出た、という話だったし。

 

 私よりも不幸な子なら、仲良くしてもいいな。

 そんなことを思っていたら、沢田がどんどん情報を持ってきた。どこから情報を仕入れてきたのかしら。

 

 曰く−−−−転校生は宇宙人らしい。

 眉唾ね、と思っていたら本当のことだった。なんでも国際宇宙ステーション"きぼう"に居たらしい。

 それで少し、興味が湧いた。実際にはつまらなそうに読書をするふりをしていただけだけど。

 

 宇宙ステーションと名前をつけているけど、それはあくまで建前。実際は宇宙船で人類をケガイから逃すための最終的な解決手段の一つ、だったはず。

 私の父親が生きていた頃、そう言っていたのを思い出した。その計画に使う金があれば避難に困る人を何人も救えるだろうとも。

 

 そう......きぼうに居たのはエリートの中のエリートたちだったはず。

 ふーん。そうか。そういうことね。

 私よりも不幸そうなのはいいけれど、エリートという人種にろくな人間はいない。父親の友人たちを見ていればよく分かる。それで私は、彼を無視することにした。

 
 

 そうして。彼がやってきた。

 
 

 予想を遥かに越えて、空気が読めない子だった。

 私が本を読んでいるふりをしているのに気にする様子もない。究極オレサマ系。

 それでいて、私の持っていたどんな想像とも違ってひどく頼りない男の子だった。

 二階へ上がるだけで息が切れているし、私より細い腕なんてどうにかしている。

 しかも、よく物を落とす。

 読書している私の横で鉛筆を宙に置こうとして何度も落っことしているのを見た。

 え。バカじゃないのこの人。うっかり凝視していたら、視線があってしまった。

 すると、とても恥ずかしそうにしている。

 何この人。

 
 

「オレサマ系ならもっと虚勢張りなさいよ」

「オレサマ系ってなに? 虚勢って誰に?」

 
 

 うっかり心の声が漏れていたらしい。

 心底不思議な顔で、転校生はそう聞いてくる。ああ、せっかく無視していたのに。私のバカ。

 
 

「なんでもないわ。気にしないで」

「そういうわけにもいかないよ。小さな穴でも全体の気密レベルを下げることはある」

 どこまでも真面目な顔で彼はそう言ってくる。

「気密ってなによ。ここは日本よ」

「それはそうだけど」

 

 苦虫を噛み潰した顔、というのはこういう顔を言うのだろう。転校生......太一郎くんはそういう顔をした後、すぐに表情を変えた。感情のコントロールがすごいレベルでできているように見える。これも宇宙で培ったのかしら。

 

「小さいことでも見逃すと良くないという故事成語、知らない?」

「大事は小事より起きる」

「僕が言いたいのはそれだよ」

「大事の前の小事とも言うわよ。蝸牛角上の戦い、木を見て森を見ずとも」

 大抵の人はここで怒り出すのだけど、太一郎くんはふんふんと頷いた。

「たくさん種類があるね。日本語は故事成語や慣用句が大好きだと思う」

「太一郎くんも日本人よ」

「そうらしいね」

 

 どこまでも真顔で太一郎くんはそう言った。変な人だ。

 それで、苦笑が漏れてしまった。

 彼をエリートと思ったのはとんだ間違いね。バカとは思わないけど。

 

「はぁ。もういいわ。なにか困っている事はあるかしら。少しくらいなら面倒見てもいいけれど」

「毎日が障害物競走なんだけど、どうすればいい?」

「どういうこと?」

「動線上に物が多すぎるんだ。あと靴を脱いだり履いたりするたびに時間を消費しすぎていると思う」

「なるほど?」

 

 さっぱりわからない。いえ、靴は分かる気がする。ベッドから降りたら靴は履きっぱなし。そういう国は多い。でも動線上に物が多いってどういうこと?

 

「参考までに聞くけど、宇宙ではどうしていたの?」

「慣性の法則に従っていたけど」

 

 空間を慣性の法則に従ってずっと移動し続ける。なるほど。

 

「太一郎くん、重力のある地球ではそもそも空間利用の考え方が違います。あと土とか砂とか靴にくっついてくるから、日本の家屋では禁止なの」

「そうだけど、聞きたいことは原因ではなく対処法なんだ。みんな障害物競走早いよね。僕だけ遅れるから、どうにかしたい」

 

 彼の言う障害物競走とはなんだろう。

 それで彼と一緒に下校してみることにした。

 そして、すぐに嘆息することになった。彼はまずもって足元を全く見ていない。遠くはよく見ているのに。これも宇宙生活の関係だろう。

 だから、転ぶ。

 さらに靴を履くのに時間がかかりすぎる。立ったまま靴を履くのができないようだ。

 

「なるほどぶきっちょさん」

「僕、宇宙では器用な方だったんだけど」

「そうかもしれないけど、ここは地球で日本よ」

 

 そう言ったら大層悲しそうな顔をしたので、私は新たな性癖の扉をこじ開けられそうになった。

 

「靴の履き方くらい教えてあげる」

「うん。地球風を教えて欲しい」

 

 彼と話をしていると、普通が誰かの普通ではないことがよく分かってしまう。いいことなのか悪いことなのか。

 
 

 
 

 私はそれをいい事だと思うことにした。

 
 

 
 

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